trazomAW’s diary

親バカ日記

パンナコッタ・オレンジソース

今日は昨日作ったサンドイッチ具の残りをトーストにはさんで朝食。新聞を読んだら、まずは駅前のコンビニへ。予約していた図書が届いているのだ。

 

その足で図書館裏手にあるいつもの苗屋さんを覗くと今年もたくさん苗のポットが売られていた。なかでも目を引いたのが、白茄子であった。あいにく国産のものでいつもの茄子が白いだけのものであったが、まずは一つ買うことにした。

 

米国にも茄子があり、かの国の茄子は卵の形をしているそうだ。しかして、茄子のことを「eggplant」と呼んでいるのだが、その事実を知らない日本人からしてみたら、なぜ茄子のことをそう呼ぶのかわけがわからないだろう。育てている中で、卵に少しでも似たようなのが出来たら子供達に説明してやろうとの目論見である。

 

今一つは「マダーボール」を買った。小玉スイカのことである。過去に何度も大玉すいかに挑戦して一度も成功しなかったので、過去に成功体験のあるマダーボールを今一度やってみようというわけである。いつもいろいろ教えてもらっている店の社長に今回も細かく説明をしてもらってきた。

 

さて、昼ご飯は昨日の残りのうどんで手軽に済ませた。佑陽とママはまた自転車で飯能までサイクリングに出掛けたのである。心希はまた河合塾の模試の続きをしているようだ。コロナでこの方式が始まったので、今春の受験生は会場での試験というのがいきなり本番だったそうで、その雰囲気にためらう生徒が多かったというような話を心希から聞いた。

 

キッチン下の物入の床はステンレス板なのだが、ところどころ錆びている箇所が前々から気になっていたので、この機会にとさび落としをつけてみた。しかし、何の変化も効果もないようだったので、奥の手としてくしゃくしゃにしたアルミホイルで磨いてみるときれいに汚れが落ちた。アルミホイルの意外な用法である。

 

3時のおやつにと思って、「パンナコッタ・オレンジソース」を作ってみた。牛乳と生クリームに寒天を混ぜて、コアントローを一緒に混ぜ固めたものに、薄皮を剥いたオレンジを100%オレンジジュースに漬けてレンジで熱して、冷ましたものをかけるのである。結局これは今日の夜のデザートでいただいたのだが、これまた家族に好評であった。

 

3時ごろ、おばあちゃんから心希のお誕生日プレゼントと称する荷物が届いた。相変わらずごちゃごちゃといろんなものが入っているのだが、なにやら豪華版のポッキーが入っていたようでそれが嬉しかったようだ。

 

佑陽がサイクリングから帰ってきたので、少し手伝ってもらってマダーボールの苗を植えてしまうことにした。畑をマルチング(ビニールで覆う)するのだ。それにより梅雨時の大雨による根腐れや裂果を防ぐのである。近頃の家庭菜園もいろいろあって大変なのである。

 

ママが安かったからといって生ハムを買ってきたので、すぐに「バジルマッシュポテトの生ハム包み」を作ってあげた。少々しょっぱくなってしまったが、そもそも生ハム自体がしょっぱいものなので我慢して食べてもらった。尤も我慢というほどまずいわけではなかったのだが。

 

晩御飯は「長芋とベーコンの炊き込みご飯」。文字通り、これらを炊き込むのだが、材料からしてまずく作る方が難しいメニューである。こちらもいずれまたやってみたいと思っている。

 

以上のように、今日はかなりやりたいと思っていたことをこなせたので、明日はゆっくり映画でも観ようかと思っている。悔いのないGWを過ごせそうな見通しである。

 

 

 

 

峠の釜めし

先月佑陽は東海道中を一応制覇したので、今度は中山道だろうと、なんとなく地図を眺める今日この頃。

 

コロナ感染者数がどんどん増えていく中、ついにGWに突入。その過ごし方を検討していたのだが、したところでどうしようもないかといろいろ逡巡していたのは確かなのだ。

 

先週はずっと仕事があったので、5/2の日曜日はいつもどおりゆっくりと体を休める日ということになった。バナナ蒸しケーキなぞ作って家族に褒められて幸せな一日となった。心希はオンラインで河合塾の模試なんかを受験していた。コロナはこれからの受験風景までも変えていくのかもしれない。

 

さて、5/3の今日は本当であれば、佑陽の部活(なんと陸上部!)がある日だったので、家族揃って休める日は本来だと、明日と明後日の二日間であったのだ。ところが、昨夜顧問の先生から電話があり、予定していた部活は無しになったとのこと。これぞ天啓とその瞬間に、今日の遠出を決断したのである。

 

朝は4時台に起床。西所沢駅を5:38に出る下り列車に乗った。始発の次の便である。飯能から折り返して東飯能にてJR八高線に乗り換えて、一路群馬県の高崎を目指すのである。

 

高崎駅には8時調度に着いた。乗客は多くもなく少なくもなくといった感じだったが、その多くは高校生と思しき人たちであった。高崎から信越本線に乗り換えること約30分で、今日の目的地、横川駅に着く。

 

群馬と長野を結ぶ信越本線は、明治時代に江戸時代から続く中山道沿いに通された鉄道で、東海道線開通の4年後には開通していたというから随分優先度が高く予算配分されたわけだが、付近で産する生糸が明治日本の重要な産業資源であったことを考えると充分に納得できるのである。

 

信玄と謙信、及び北条との争いに必ず登場する碓氷峠とはここ(横川-軽井沢間)のことである。峠の名のとおり、峻険な山々に阻まれ、鉄道の敷設には多数の死傷者が出たそうだし、出来た線路というのは車輪が空転を起こすほどの急勾配だったため、線路の真ん中にギヤをつけたアプト式というものが採用されたものとなった。

 

そうしてやっと出来上がった信越本線、山岳地帯に無理やり作ったため多数のトンネルを有することとなった。蒸気機関車の時代であるので、トンネルに入ると炭を焼いた煙がトンネル内はもちろん、運転席や客車にも充満するのである。窒息や一酸化炭素中毒による死者が出るに及んで、当時の鉄道院は、まだ黎明期だった電化方式を一早く取り入れたのだそうだ。

 

ところが、電化したからといって急勾配が平たくなるわけではなく、電気機関車もここ専用の特殊なものを作成する必要があったらしい。また、運用面においても高崎方面から来た列車にその専用機関車(EF63等)を横川駅で接続しなおして出発し、いざ軽井沢についたらまたそれを切り離すといった塩梅で、この碓氷峠というところはレールこそ敷いたが素直には通れないといった難所であったらしい。そのためこの横川駅では、この牽引車両の繋ぎ変えの間に、峠の釜めしが売られることとなったのである。

 

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釜めしは「おぎのや」というところが売り出したようで、今日も駅前に本店があり、駅売店も朝から客が途絶えることがなかった。本店前にはおぎのや博物館なるものがあり、峠の釜めしの歴史を知ることができるようになっている。最初入った際真っ暗だったのだが、ほどなく本店から店員さんが電気をつけに来てくれた。

 

この峠の釜めしは、ばあばが若かりし頃(多分長野あたりに)スキーに行った際よく買った思い出の駅弁だったらしく、私たちがお正月ご挨拶にいくと、どこからか入手したこの釜めしを振舞ってくれたものである。

 

今日の展示を見て知ったのだが、どうもかなり昔に、この峠の釜めしを使ったTVドラマがあったらしく、そこから有名になり、今日でもどこかしら(多分スーパーや百貨店)で毎日売られているものと思われる。駅前本店の反対側にはおぎのやの大きな倉庫があったので、おそらくあそこから毎日全国に配送されているのだろうと推察されるのである。

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峠の釜めしに沸く横川駅だったが、長野オリンピックに合わせて1997年に開業した長野新幹線の開通により、高崎-軽井沢間に新幹線が走るようになり、同区間を走る信越本線は、上記のように、いちいちの牽引車両の繋ぎ変えや、専用車両及び軌道のメンテナンスにかかるコストがネックとなり、なんと廃線とされてしまったのである。

 

その記念として、「碓氷峠鉄道文化むら」というものが作られたのだそうだ。私たちは、峠の釜めしを買って、まずはここに入場料500円を払っていそいそと入っていったのである。 

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要するに鉄道博物館なので、あちらこちらに記念の車両が屋外、屋内を問わず展示されている。もちろん定番のシミュレーターなんかも置いてあり、鉄道に関心の無い心希にとってはまたかといった感じで、「ああ、みきはいつまでこれに付き合わされるんだろう・・・」なんて嘆息するのであった。

 

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むらを周回するミニ列車、家族連れが楽しそうに乗るミニSL、トーマスの電動でんしゃ、等々をみるにつけ、ちょっと連れてくる年齢を間違ったかなといった雰囲気が漂ったが、皆精神的には大人になっているので、心希は少なくともそれ以上の文句は言わなかったし、ママは佑陽についていってなんとか楽しもうと努力しているようではあった。

 

近頃では随分専門的な知識を身に着けている佑陽にとっては、興味のそそられる展示もそれなりにあったようで、なかなかに楽しめた様子であった。スーツの動画を熱心に見ていたのも随分助けになった様子である。まあ、そんな微妙な空気の中、少々早めにむらを出て、私たちは駅とむらの間にあるバス停で一日に一本しかない「めがね橋」経由のバスを待つことにしたのである。

 

長野新幹線の開通により、なにかとコスト高の碓氷峠路線は廃止されたわけだが、それでも沿線住民の中にはこれを通勤通学に使う人もいたわけである。しかしながら、それらの需要についてはバスで代替できるとされ、現在の公共の手段としては路線バスを利用するしかないのである。

 

この路線バスは概ね1時間に1本走っている。しかしながら、その途中にある「めがね橋」を経由するバスは11:10発の1日1本しかないのである。しかして、これを逃したり定員オーバーで乗れなかったりすると、今日の計画が根本から狂うのである。

 

駅からめがね橋までは、直線距離で概ね4km。まがりくねった道路ながら、バスは無事にめがね橋につき、我々は320円を払ってバス停に降りることができたのである。さて、この「めがね橋」とは正式名称を碓氷第3橋梁といい、先述の峻険な山々に必要なトンネルと同様のインフラのことである。

 

重要文化財に指定されている、この巨大な煉瓦構造物を観に行くことを今日の最大と目的としたのだが、イマイチそのすごさをアピールできなかったのか、皆あまり感動した様子ではなかった。

 

確かに、かくいう私も最初めがね橋というキーワードになぜ反応したかというと、小学生の頃の教科書に熊本の通潤橋についての物語があったのを思い出したからであって、この第3橋梁から放水がされないとわかっていささかがっかりした気持ちが皆に知られてしまったのかもしれない。

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しかし、仰ぎ見るほどに立派な橋梁で、これが明治15年に作られたのかと思うとやはりすごいの一言につきると思うのである。橋をぐるっと回り込むようにして坂道を行くと、橋梁の上に上がることが出来る。上からのぞくと足がすくんだ。

 

橋の上にはアプトの道といって、かつてのアプト式軌道の廃線跡をハイキングコースとして整備したもので、ここからはこの道を歩いて横川駅まで戻ろうという計画なのであった。

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まずはトンネルをたくさんくぐるのだが、どれもしっかりした造りで歩いていて不安感がなかった。どのような不安感かというと、タチソや吉見の地下軍需工場跡を歩いているような感じのことである。鉄道用だったので天井が高いからというのも理由の一つだったかもしれない。

 

全体にというか全て下りなのである。先述の急勾配というのがこれで、66.7パーミル標高差553mとなるもので、その標識を現場で探したもののこれを見つけることはできなかった。ちなみに静岡の大井川鉄道が現存唯一のアプト式で90パーミル箱根登山鉄道で80パーミルなのだそうだ。 

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数々の悲劇を生み出した急勾配の軌道跡と言われても、正直実感がわかなかった。理由は、人間の足にとってはごく普通の下り坂でしかないからだ。ここを何tもの重量がある車両が登ろうとするといろいろな無理が生じるということらしい。

 

途中旧丸山変電所を横切る。電化する際、横川駅付近に火力発電所を設け、この丸山変電所で交流電気を直流に変換したのだそうだ。こちらも煉瓦造りの立派な建物で、中にはアプトとして使った線路がまだ置いてあった。

 

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心希はめがね橋ではなく、こちらの建物に感動したらしく、しきりに「住みたい」というのである。お金持ちにでもなったらここの管理を任せてもらえばよいだろう。

 

丸山変電所の1kmほど手前に、峠の湯という休憩施設がある。館内は有料なので、前庭の池のほとりのベンチを占領して、峠の釜めしを食べて昼食とした。

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ほぼ横川駅と同じ位の標高に下ってくると、EF63電気機関車が動いていた。この横川-軽井沢間だけの仕様に開発された機種である。実はこの車両、一般人が運転しているのだ。碓氷鉄道文化むらにて3万円を払うと、事実上一泊二日の運転講習を受けることが出来、それに合格すると以降1回5000円で運転させてくれるのだ。佑陽にも行ってこいと言ってみたが、いろいろ現実問題を考える年ごろになったらしく、二つ返事はしないのである。

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東海道の箱根同様、碓氷峠中山道の時代、重要関所として「入り鉄砲と出女」を管理していたのだそうだ。その関所跡もアプトの道途中にあるので見てきた。

 

こうして、再度鉄道文化むらへ戻ってきたので、朝買った入場券で再入場し、コーヒーソフトクリームなぞ食べて人心地ついたのである。

 

横川駅に早めに行って、じいじとばあば用に峠の釜めしをお土産に買って、先ほど昼に食べて持て余していた空の釜は、無事回収箱へ入れることができてホッとしたものである。

 

高崎駅からは湘南新宿ライナーに乗って南下。途中深谷では、渋沢栄一のPRに熱心であった。おそらく栄一が江戸に出てきたのと同じルートをJR高崎線は辿り、池袋を経由して私と心希は無事西所沢へと着くことができたのである。

 

ママは途中下車してじいじとばあばに釜めしを届け、佑陽は通学定期を要領よく使うべく、池袋で地下鉄に乗り換えて帰ってきたのである。

 

なんだかんだといいつつも、皆最後には楽しかったそうなので、連れて行った方としてもホッとしている。しかし、どこか罪悪感をぬぐい切れないのは後味の悪いものである。次の夏休みこそは大手を振って出掛けたいものである。

 

 

 

 

 

 

食べ盛りの炊飯器

心希の高校生活は順調のようだが、進路を早々に決めなくてはならないようで、自分の未来について人知れず悩み続ける毎日を送っている様子である。

 

佑陽の中学生活も順調のようだが、目をつけている陸上部がいったいどこで活動しているのかわからない、しかしゆっくり探す時間もない、といった毎日を送っている様子である。

 

新宿、池袋、小竹向原と見どころたくさんの通学路なので、毎日の電車通学が面白くてたまらないようでもある。

 

さて、子供達も食べ盛りとなってきたので、いよいよ我が家の炊飯器も今まで5号炊きだったのを10号炊きに買い替えることにした。店頭で10号炊きありますか?と聞くと店員さんもあったようななかったようなといった感じ。つまり、10号炊きという言い方ではなく、一升炊きという表現なのだそうだ。

 

まだママも使い慣れないようで、いささか炊き上がりは固めの感じ。その内おいしい炊き方がわかってくるのだろう。

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毎日の健康が守られておりとても感謝なのだが、相変わらずコロナの感染者数が増えており、日々の報道はけして明るいものではない。

 

先日日本に届いたワクチンは、高齢者と医療従事者に優先して配布され、接種されるのだが、高齢者施設で働く人や、医療施設で働く人もその範疇に入れてくれるらしく、昨日この私も早速接種の恩恵に預かることになった。

 

筋肉注射なのでとても痛いと聞いていたが、刺された時は何の痛みもなくて、却って拍子抜けした感じであった。何ゲージの針だったか見ておけばよかったのだが、昔と違って最近は随分と細い針も出ているので昔のイメージは引きずらない方がよいのかもしれない。

 

しかし、その日の夕方から翌朝にかけては、腕の芯のあたりが痛くて、確かに腕を上げるのにも一苦労だった。しかしながら、午後になるともう全く何の違和感も感じなくなっていた。またGW明けに二回目の接種があるので、それを越えたら一安心だ。2回目の接種後に発熱する女子が多いそうなので、女子は特に接種後は安静にしておける段取りをとっておくべきだろう。

 

佑陽は今日も小手指車両基地の見学に自転車で出掛けている。お出かけが大好きなのだそうだ。部活が始まったらどうなるかを見定める必要があるが、それでも好きなようならどこかに一人で遠出させるのも悪くないだろう。

 

早く安心して旅行に出掛けられる日常に戻ってほしい今日この頃である。

 

 

佑陽中学校入学式

職場の同僚に器用なオジサンがいるのだが、先日内臓破裂を起こした私のPCに、他から電源ユニットを移植し、見事治してくれたのである。内部部品が大きかったので、カバーはもはやきちんとはまらず、ところどころ金属板が剝ぎ取られていたり、なにやらワイヤーが飛び出したりしている。

 

でも、こういう状態のマシンというのは却って愛着が湧くものなのである。埃が入り放題なので、いつまで持つやらわかったものではないが、2年前に2万円で買ったPCなのだ。今から積み立てをしておくのも悪くない。これからは小学生にもiPadが配られるご時世だ。佑陽のいく中学校では方針が未定のようだ。

 

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そう、今日は佑陽の入学式だったのである。待ちに待った電車通学に居てもたってもいられない様子。皆は存分に電車内で勉強できるでしょう、と思うだろうが、佑陽についてはそうはいかない。常に先頭車両から運転席越しに景色をみつつ、ちょっとしたモーター音の異常などに聞き耳を立てているので、とても勉強する暇などないのだ。

 

玄関先で撮影をして、ママと佑陽だけ駅へと向かったのだが、私は玄関に入ろうとしたその時、手にハンディカムを持ったままなのに気付いた。スリッパ履きだったので、すぐに靴を履き替えて、駅方面へダッシュ

 

なんとか二人に追い付いたのだが、小学校の入学の際はランドセルを忘れるし、保育園の時は何かあったかどうか忘れたが、とにかく佑陽は初日に何か忘れるのである。3年後が今から恐ろしい。

 

入学式は恙なく執り行われ、佑陽はEクラスとなり、早速友達も出来た様子。ちなみにクラスはA~Gまであるそうだ。1クラス38名程度だが、当然ながら全員男である。まあ、私が行くわけではないのであまり気にしないことにするが、ずっと共学校だった身としては、正直なところちょっと身構えてしまう。

 

式後新宿の叔母さんのところと、石神井のじいじとばあばの家へ挨拶をして帰ってきた。家に帰ってくると私が料理に精を出していた。

 

今日は、「新たまねぎと挽き肉ガリバタソテー」に挑戦。たまねぎに爪楊枝を差して型崩れを防ぐのだが、やや面倒くさく感じた。しかし、特筆すべきはそんなことではない。

 

庭に先日植えたネギが早速生長しているので、説明書どおり根本から5cmほどを残して切って、収穫したのだ。そして、刻んでこの料理に付け足してみたのである。またすぐに生えてくるようなので、夏の間万能ねぎには困らなさそうである。

 

りんごの花が満開だ。受粉が順調なら、今年も豊作が期待できるので楽しみだ。

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4月3日(土)東海道帰還

いよいよ最終日。最初と最後の日が休日ダイヤとなるのでスケジュール上注意を払う必要があるのだが、そんなことは基本中の基本だから私が間違うはずがない。しかしながら、阪急バスのダイヤが土日祝にかぎり、コロナ仕様のため1hに1本程度の間引き運転をしているということまではわからなかった。

 

そのため、初日におばあちゃんと会って一緒に乗るはずのバスは運休しており、おばあちゃんからは「あんたの予定間違ってるよ!」と注意されたのはいやな思い出だ。

 

さて、森町里山住宅前バス停からの6:04始発が問題なく運行されていることは事前に確認しておいたので、心配しないよう佑陽に伝えておいた。

 

この日はおばあちゃんが新大阪までお見送りしてくれた。佑陽が東海道線に乗り込んだ7:15過ぎに、おばあちゃんから電話が入った。「佑君今東海道線に乗ったからね。もうここまでスイスイやでえ。何の心配もないわあ。楽しかったで。ありがとね。」とのこと。おばあちゃんは今頃佑陽ロスにさぞ苦しんでいることだろう。

 

米原、大垣と乗り継ぎに問題はなく、都度都度おばあちゃんに持たされたおにぎり3個と菓子パン3個をつまみ食いしながらの旅となったようだ。3度の食事の他にこうしたエネルギー摂取を必要としているところはまさに食べ盛りに入ったんだなあとあらためて気づかされるのである。

 

大垣からは平日であれば新快速が接続しているのだが、休日ダイヤでは特別快速というものになるらしい。これの豊橋行に乗ったところで少し疲れが出たようで、この電車が豊橋についてもしばらく気づかないほど眠ってしまっていたのだそうだ。

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11:43に予定どおり浜松についた。ここで昼休みを設定しておいたのだ。佑陽は電車を降り、そのまま新幹線乗り場へ。入場券を買って構内へ入り、そこで念願の「うなぎ弁当」をゲット。そして、ホームの待合室でゆっくりと賞味しつつ、N700Sの雄姿を堪能するひと時を味わったのである。

 

いわれてみれば確かにそうなのだが、佑陽が新幹線を見る場合というのは、東京駅や上野周辺といったもう十分に減速しているものばかりなのであった。トップスピードで通過する新幹線を間近でみる体験というのは、ひょっとすると初めてだったかもしれない。

 

なので、走りすぎる新幹線の轟音に感動したのだと帰宅後に興奮気味に話す佑陽を見て、ああこの設定は正解だったなとその嬉しさに共感した次第。

 

その後、島田、熱海、小田原と乗り継ぎ、武蔵小杉から南武線に入った。武蔵小杉構内には、ベルト式の昇降用エスカレーター、つまり段差式でないエスカレーターがあり、佑陽は初めて見たのだと嬉しそうであった。このタイプは海外でよく見られるものなので、確かに日本ではめずらしいかもしれないが、少し意識していれば見かけることはあるはずだ。

 

予定時刻に合わせて西所沢駅に迎えに行くと、時間どりに佑陽が現れたので、本当にこの子は親に心配をさせない子供だと感心した。帰路西友でケーキを買ったことはすでに書いた。

 

おばあちゃんに電話すると、おばあちゃんがせっかく作ってくれたハンバーガーを持ってくるのを忘れていたらしい。しかし、そんなことは些細なことだ。また夏休みに来てほしいといわれているようだが、まずは明後日から始まる中学生生活がどうなるかによるだろう。

 

先ほど着払いで箕面から送ったボストンバッグが届いた。これで本当に今回の旅が終わった。

4月2日(金)琵琶湖一周

琵琶湖を一周するというと、皆(特に女性は)遊覧船を思い浮かべるらしいが、私が知る限りそんなものはない。せいぜい竹生島へ渡る船がある程度だろう。

 

サイクリングやドライブで一周というルートはあるらしいが、今回佑陽が行くのは新快速で琵琶湖を一周するという企画なのである。

 

琵琶湖周りのJRは、湖西線東海道線があり、それらは北は近江塩津、南は大津で結節・・・と思っていたのだが、正しくはどうやら山科で結節しているようだ。今回佑陽は、新大阪から湖西線周りの新快速にのり、そのスピードを堪能しつつ、近江塩津からは東海道線を下って米原へ行き、京都を経由して帰ってくるルート設定であった。

 

さて、予定通り朝8時過ぎのバスに乗って少し余裕を持って出発した佑陽は、千里中央駅についた。するとなんだか様子がおかしい。たくさんの人が改札階にあるデッキで足止めを食っているようで、停車中の地下鉄にもそれなりの人が乗っているのに、動く気配がないのである。

 

しばらくその場にいると、館内アナウンスにより、天王寺で発煙事故が発生し、現在のところ全線で運行が止まっているということがわかった。私が一番驚いたのは、この時佑陽がすぐに代替ルートを設定し、実行に移したことだ。

 

先日T君が奈良行きの準備中に宝塚経由のルートを検索したことがあったのだが、千里中央から大阪モノレール蛍池まで行くと、阪急電車に接続しており、それで宝塚に行くと、JRにも接続しているという事実が、この時佑陽の頭の中に残ったのだそうだ。

 

そして、このあと佑陽はイコカを使って大阪モノレールにのり、蛍池まで行き、阪急電車で梅田まで出て、そこでJR大阪駅に乗り換えて、本来の予定であった東海道線へと復帰したのであった。

 

しかしながら、予定していた湖西線経由の新快速敦賀行には乗れなかったので、すぐに予定を逆に設定して、新快速長浜行きに乗車し、とりあえずは米原へと向かったのである。この時、近江塩津湖西線経由の新快速にきちんと接続する予定を組んでいたというから大したものだ。やはり時刻表を読める男はかっこいい。

 

米原駅では、キオスクでツナマヨのおにぎりと牛肉弁当を買ったそうだが、これが近江牛であったかどうかを確認していなかったところはまだ子供なのである。

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徒歩5分も行かない内に、「高速試験車両保存場」に着く。500系や700系新幹線のプロトタイプ車両が保存展示されているところなのだが、屋外からいつも見られるようになっており、特に入場料をとるような施設ではないのだ。

 

通過する新幹線や東海道本線からも見えるので、実際に佑陽は東海道を西進していた際、車内からここを確認していたのだそうだ。

 

WIN350はNゲージを持っているし、X300プラレールを持っていたので馴染みがあったはずだ。 STAR21はよく知らないが、特に何のプロトタイプというわけでもないそうなので、もともと人気はない車種なのだろう。

 

ちかくの空地にベンチがあったので、そこでゆっくり弁当を広げられた。ただし、おにぎりは歩きながら食べたそうだ。

 

米原駅に着くと、大阪で自分で立てた臨時スケジュールに余裕があったので、少しぼーっと出来たようだ。そして近江塩津につくと、今度は臨時スケジュールより一本早い新快速に乗れたので、結局箕面にもそれなりに速く到着することが出来たそうだ。

 

本当は京都駅に立ち寄って、日本一プラットホームが長いという0番線ホームをこの時見る予定だったのだが、すでに鉄博に行ったときに要領よく見てしまっていたため、京都には立ち寄る必要がなかったのだそうだ。

 

なので、おじいちゃんはてっきり油断していたらしく、佑陽が玄関を開けても詩吟を朗々と謡い続けており、佑陽は一節が終わったところで「ただいま」と声をかけると「あらあらおかえり」という有様だったそうだ。

 

この日が最後となるのでおばあちゃんは何を作ったのかと聞くと、どうも煮カレイだったようだ。

おばあちゃんの料理について何が印象的だったかと聞くと、オムソバやうどん、鰻ごはん等々、確かにおいしそうなメニューがラインナップされていた。

4月1日(木)奈良の大仏と大阪城見学

この日は行程上一番コストがかからない日と想定されたので、敢えて18きっぷは使わないというルールにしていた。18きっぷは5枚しかないので、そうすることにより滞在期間を延ばすことができるのだ。

 

そのため、佑陽は交通系ICカードパスモを利用する算段であったが、鉄道の世界ではあいにくこの日を境に佑陽は子供ではなくなるのである。従って、千里中央駅にて名義内容変更を試みたところ、やはり管理管轄外ということで断られたとのこと。偉かったのは、その際「ではどうしたらいいのですか?」と質問できたことだ。

 

しかして、「大阪ではイコカを買ってください。」と教わったため、その通りにイコカを発行し、且つ必要なチャージまで行ったのだそうだ。私の想定では、パスモをそのまま黙って使い続けるか、もしくは現金で旅行すればすむ話だと思っていたのだが、佑陽曰くパスモそのものが使えなくなるそうなので、彼自身としてもどうすればよいか考えたのだろう。彼は私が思っているほど未熟ではなかったということだ。

 

イコカの準備が整えば、あとは佑陽にとっては庭みたいなものであったろう。御堂筋線は梅田まで行き、JR大阪駅からは大和路快速に乗車。予定どおり奈良駅に到着したそうだ。

 

奈良では是非「大仏巻き」という駅弁を探して欲しかったのだが、ちょっとそこまでの余裕はなかったようだ。駅前のコンビニ弁当をゲットしてから、地図を参照していざ東大寺へと歩を進めたのである。

 

鹿は南大門に近づくにつれ大型化し、数も増えていったそうだ。鹿せんべい売り場の数と比例していなかっただろうか。
 

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南大門では運慶快慶の阿吽像に気が付いたようだ。しかして、初めて日本最大の大仏を目にした佑陽はどう思ったのだろうか。柱の穴くぐりがコロナ禍で中止されていたのは残念であった。今の体のサイズであれば問題なく通り抜けられたであろうからである。

 

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奈良駅から東大寺までは随分遠かったとのこと。ちょっと私のリサーチが足りなかったようで悪かったと思っている。ともあれ、奈良は近鉄電車で移動するのが本当は一番便利なのである。次回は是非近鉄を利用して石舞台古墳に行ってほしい。ここもなかなかにスケジュールの立てづらいところなので挑戦し甲斐はあると思う。

 

奈良駅からは、また同じ大和路快速で大阪に戻る予定だったのだが、大阪城公園までいくためには、私の予定だとグルっと大阪環状線を一周することになる。

 

それに気づいた佑陽はすっかり疲れてしまっているAちゃんへの気遣いもあってか、大和路快速天王寺で降りてしまって、内回り鶴橋方面から行くことをすぐに決断、実行したのである。

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しかして、だいぶ時間の節約をして一行は大阪城公園へと到着。無事にお濠を渡って天守閣へ登り、金の茶室を見学することができたのである。

 

残念ながら叔母さん一家とは今日でお別れ。夕食を皆で楽しんだあと、車で舞鶴に戻っていったのである。おじいちゃん、おばあちゃんもとても楽しい時間を過ごせたと言っていた。